■プロローグ_______
「いのち短し 恋せよ少女(おとめ)」って言葉がある。
大正時代の「ゴンドラの唄」という歌の、歌いはじめのことばである。詩はその言葉の後に
「朱き唇 褪せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを」
と続く。その時間軸に込められた想いがもの凄い。
わたしは “おとめ ” ではないし、BONZのお客様に乙女というジャンルは皆無だけれど、この詩の中にみえる どうしようもなく限られた ” 時 ”をやけに愛おしく思うのだ。その ” 時 ” はわたしの中で、矢の如く流れゆく光陰よりも刹那なのである。幼女や少女や乙女嗜好があるわけではない(んじゃなかな)。
おそらくきっと多分、わたしの残りの人生の分量が、詩の云う ”おとめの刹那 ” に感じ入るのだ。
まっ、…………つまり。有り体にいうと「おっさん、お前に残された時間は驚くほどに少ねーよ」なのである。ちなみに付け加えると、40歳台もなかばを眺めるおっさんは今のうちに心してそう思った方がいい。「おっさん、お前に残された時間は驚くほどに少ねーよ」だ。だってわたし本人が「まあまあまだまだ」なんて自分を垣間見ることをせず、そこに出遅れたくちだから。やり残してること、行ってみたいところ、食してみたい味に手をつけられず日々傅くだけのオヤジは哀しい。
だからオヤジは旅立つのだ。自分の中にある自分だけの領分でね。これを冒頭の言葉に当てはめればあら不思議。
「いのち短し 旅せよオヤジ」
なんていうイカした言葉ができあがる。
ほら、だから。オヤジは夏の青を見に行くのだ。だってこの歳になると、夏をあと何回見ることができるかわかったもんじゃないじゃん。日本の夏は美しいじゃん。夏は夏の中にいたいじゃん。夏の青は格別じゃん。
地軸が少しばかりズレようと、この惑星の公転軌道が変ろうと、やりかけの仕事が3日ばかり頓挫しようと、帝の発言がどうであろうと、夏休みに入ってから毎日、決まった時間に店の前を通る女の子が気になって仕方なかろうと……..はたまた大きな嵐が近づいていようと、夏には夏の青が見たい。懐かしくも甘酸っぱい、あの夏へ。
行く。…….よね?……いける…….よなあ。行けるといいなあ………..。
「青を見に行く(2)」へ続く。
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